会津若松に行ってみました

Heritage Castle Architecture Himeji  - Nick115 / Pixabay 旅行
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この記事について

 この記事は、『会津若松に行ってみました』です。

 前日までは福島に行くつもりだったのですが、あまりに刺さる観光地がなかったので、直前で変更しました。 

 今回も行き当たりばったりの感じです。

 

若松城

 若松城は、鶴ヶ城とも呼ばれる会津松平家系のお城ですね。

 ちゃんと実戦に耐えうるお城だったようで、戊辰戦争では、東北地域の決戦場になったようです。

 戊辰戦争では、結局この間行った函館の五稜郭まで、延々旧幕府軍側が敗走を続ける感じになるのですが。

 この会津若松城も例によって、新政府軍にボコボコにされた口です。

 最終的には、藩主の判断で開城し、戦闘は終わったようなのですが、大砲をぶち込まれまくってボロボロになった天守閣の写真とか、結構なインパクトがありました。

 そのせいか、その後、こちらも基礎の石以外は全部撤去されています。

 

 今ある天守閣は、観光用の再建のものなのですが、行った当時はちょうどリニューアルオープン直後だったようで死ぬほど混んでいました。

 中は、例によって上で書いたようなことが分かる感じの資料館になっていました。

 ちょっと初めて知った辺りでは、どうして江戸時代が終わり、新時代が始まった後なのに、若松城で大きな戦いが起きてしまったのかというあたりでしょうか。

 どうやら、会津藩は、松平家系の名門だったらしいのですが、藩の家訓が、徹底した将軍への忠誠っぽい感じだったらしいのですね。

 

 このため、幕末の幕府と完全に命運を共にする感じになってしまい、一緒に滅んだようでした。

 また、この家訓のせいで、幕末で新政府側の藩の恨みをさんざんかったおかげで、戊辰戦争を口実にフルボッコにされたみたいな説もあるようでした。

 逆に会津側からは、この時のことで長州とかへの恨みが残ってしまいます。

 いわゆる長州とは仲が悪い問題ですね。

 武士道的には潔くてOKなんでしょうけど、藩の運営的にはどうだったんですかね。

 

白虎隊関係

 白虎隊は、上で書いた戊辰戦争時に、若者ばっかりで実質戦力にならないものばっかりで構成された部隊だったようですね。

 藩主への忠誠心に篤すぎて、おとなしく予備戦力に徹しろという方針だったところを、直訴で最前線に送ってもらって全滅したとかいう、結構武士らしい部隊のようです。

 余談ですが、玄武隊とかもあり、西洋風に、所属する兵士の年齢で分けられていたようです。

 

 展開も物凄く、出陣したものの、隊長、副隊長とはぐれてしまい、そのまま戦闘に突入して半壊、逃亡した挙句、若松城を望む飯盛山で自刃したとかいう非常にドラマのある感じの展開をたどります。

 余談ですが、この時生き残った人もおり、そもそも飯森山へ行かなかった人も居たので、最終的には結構な数の白虎隊が生き残ってその後活躍したようです。

 

 観光名所としては、逃れてきた飯森山になりますね。

 飯森山には、猪苗代湖から引かれていた水路があったのですが、白虎隊が逃れてきたその水路と、自刃した場所と、慰霊碑みたいなのがあります。

 おまけでなぜか重文のさざえ堂とかもあります。

 水路は、今なお物凄い水流で、水もきれいでした。

 日本酒とか作ったらおいしそうですね。

 

 実際に自刃した場所へも行ってみたのですが、かなり目を凝らしても若松城は見えず、どうやって若松城が炎上しているのを見て、自刃したのかちょっと謎な感じでした。

 現状では天守閣だけになってしまってるからとかなんですかね。

 ちなみに物凄い急こう配の石段の上にあり、250円くらい払うとエレベーターで一番上まで到達できます。

 まあ、迂回ルートを回れば、ゆるく登っていけるのですけど。

 

 

猪苗代湖

 猪苗代湖は、会津若松の東にあるかなり大きい湖ですね。

 ほとりには、やたら巨大な公園やらオートキャンプ場やらがありましたが、あまり観光地化はされていない感じです。

 

 特筆すべき点としては、なかなか来づらい場所にあるせいか、めちゃくちゃ水がきれいな辺りでしょうか。

 普通に水辺まで寄れるところもあるのですが、日本海並みに水が透き通っており、さすがにブルーだったりはしないのですが、水底まではっきり見えたりします。

 多分暑かったらそのまま泳いだりできるんじゃないですかね。

 うちが行った時も、普通にカヌーみたいなので漕ぎ出している人がいました。

 水は、汚いとちょっとボートじゃないと臭ったり汚れて嫌な感じなので、沖の方まできれいなんじゃないかと思います。

 風景も周囲に道路くらいしかないので、かなりきれいでしたね。

 

 

熱塩温泉

 熱塩温泉は、会津若松からちょっと北にいった喜多方の山奥にある温泉ですね。

 良くある地元の温泉系なのですが、車やバイク等じゃないと到達できない場所にあり、かなり静かなところでした。

 うちの場合は宿泊じゃなかったので、公共系で安い日帰り温泉に入ったのですが、凄いよかったです。

 

 というのも、温泉郷の共同浴場だったりいわゆる外湯は、大体めちゃくちゃ熱くて、入るのには結構勇気がいるところが多いのですが。

 うちが行ったところの露天風呂は、かなりぬるめに設定されており、ものすごいのんびり入れました。

 休憩所も併設されており、時間さえあれば、1日ダラダラできそうな感じです。

 こういうところは、地方っていいですよね。

 お湯はアルカリ系の軽くヌルヌルする感じで、お肌に良いやつだと思います。

 

元祖喜多方ラーメン

 喜多方ラーメンは、都内だと喜多方ラーメン坂内のチェーンで見かける系のラーメンですね。

 この聖地というか、元祖が、ここの喜多方にあります。

 とは行っても、元祖のお店に行ったら、14時前だというのにすでに締まっており、元祖の看板を撮影できただけなのですが。

 

 

 肝心の喜多方ラーメンは、近所の別のお店で食べたのですが、ちょっと安めな以外は、ほぼほぼチェーンのあれと同じような味です。

 あのばら肉みたいなチャーシューが一杯乗っていて、角切りでやや歯ごたえのある太麺が特徴なのですかね。

 普通においしかったです。

 あまり濃い味ではないので、しょっちゅうでも食べれそうですね。

 

 ちなみに、喜多方に行った理由はもう一つあったりします。

 うちの業界だと、喜多方ラーメンって、地域団体商標制度を習う時に大体出てくる鉄板の教材なんですよね。

 地域団体商標というのは、いわゆる地域ブランドの保護を目的に設立された制度なのですが。

 さっきの元祖のお店も入っている協同組合の喜多方老麺会っていうところが、『喜多方ラーメン』で出願したんですね。

 通常の商標出願の場合だと、その商品の販売地(か産地)である喜多方に、普通名称であるラーメンをくっつけたものなので、おそらく商標法の3条で拒絶されます。

 しかし、地域団体商標は、名前の通りこの辺を許容しているので、登録される場合もあるんですね。 

 

 

 ただ、喜多方ラーメンの場合は、出願時ですでに日本中で有名になってしまい、喜多方ラーメンって聞いても、喜多方のラーメンだろうとは思えないみたいな点で拒絶されてしまいました。

 その後の展開も凄く、最高裁まで行って認められなかったとかいう感じで、歴史に名前を残してしまったラーメンなのでした。

 まあ、近所に行ったら覗いてみますよね。

 

グーグルタイムライン

 一応おまけでつけておきます。

 

 

まとめ

 意外にも、当初目的地の仙台より当たりでした。

 

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kuroneko

とある企業の知財部で働く一応弁理士です。 国内特許系メインの日々の業務とか、試験対策ネタとか書いています。 受験時代は某L社系列の某B,M講師をメインに習っていました。 Copyright (C) 2010 - 2017 SQUARE ENIX CO., LTD. All Rights Reserved.
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