この記事について
この記事は、「松本城周辺に行ってきました。」です。
実は、この辺りって去年も行ったのですが、コロナ騒ぎで全然施設に入れなかったので、リベンジに行ってきました。
本来なら、緊急事態宣言開けに行くつもりだったのですが、どーーしても行っておきたかったところが6/1から耐震工事で数年閉鎖になるらしかったんですね。
なお、内容的に去年書いた部分は省略しています。
松本城
さりげに国宝です。
前回来たときは、コロナ対策の入場制限で、入場待機列が1時間待ちとかになっていました。
さすがに無理だと思って入らなかったのですが、今回は、さすがにがらがらです。
まあ、入ってみて、どうして入場待機列が1時間待ちとかになっていたか分かったのですが。
松本城の有料区画は、大雑把にかつて居住用の本丸御殿跡と、天守閣に分かれます。
本丸御殿跡は、かつて大名とかが実際に住んでいた屋敷の跡地です。
いわゆるお城っていう部分は、あくまで戦闘用のところが多いため、基本的には、物見やぐらや、攻められた時の籠城用で、居住性が大体ありません。
このため、大名と言えども、普段は、普通の下の屋敷で暮らしていたパターンが多いようなのですね。
松本城の場合は、現存していた歴史が長いので、大名が住んだりはもちろん、廃藩置県後の役所や裁判所、農作物の試験場とか、博覧会に使われて、今の公園に至るようです。
と言っても、現在では、ただの芝生の草地なのですが。
天守閣は、いわゆるお城ですね。
外観としては、大体の人がイメージする白壁に黒屋根がついてて、一番上には、しゃちほこみたいなのがどーんっていうあれです。
松本城の場合は、現存天守呼ばれる作った当時ものが、そのまま残っているタイプで、この類では一番格が高いそうです。
実際には、保全とかが入っているので、作った時そのままではないのですが、材木とかは、極力当時の物のようでした。
このせいか、松本城は、あちこちのお城を見ていると、一番最初に違和感として気づくのが、なんか大きさが小さいんですね。
形こそは綺麗なのですが、下から見た時の高さや規模が、なんか小さく感じます。
復元したやつは、ある程度見栄えとかも考慮して大きめなのか、建造された時期にもよるのかはちょっとわかりませんが。
ここの場合は、実際に中に入って、天守閣まで登ることが出来ます。
中に入って納得したのは、コロナ対策時の待ち行列の長さの理由でした。
中の作りは、間取りが作られた当時のままなのか、物凄い急な階段の連続だったんですね。
と言うのも、天守閣の中は、これまで見に行ったお城の中でも一番狭く、それが5層くらいに分かれているので、1層上がるごとに落ちたらただでは済まないくらいの急階段を上らされます。
つまり、混雑すると超密です。
多分一番近いものを上げると、小田原城のやぐら辺りだと思うのですが、あれよりも高いのでさらに大変なことになってました。
足腰が弱い人とかは、普通に挫折すると思います。
内部で面白かったのは、展示がほぼ鉄砲博物館みたいになっていたところでしょうか。
展示には、刀の一振りすらなく、ひたすら鉄砲伝来から、様々な種類の鉄砲の実物の展示、作り方とか、鉄砲の種類などなど初めて見る類のもので面白かったです。
どうも松本城には、かなりたくさんの火縄銃が実戦用に収められていたらしく、そこから来ているようです。
そりゃ天守の標準見学時間が1時間とかになりますね。
中でも特に面白かったのは、ゲームでくらいでしか聞いたことがない、いろんな鉄砲のバリエーションの展示でした。
大雑把には、産地と、鉄砲自体の大きさとのバリエーションになります。
日本の鉄砲は、教科書とかで習う通り、種子島伝来なのですが、以後は、丸コピーではなく、国内彫金師たちが、国内でも自作できるように、産地ごとにかなり改変して伝わったようです。
特に工夫が必要なのが、火縄を使った着火部分に関する細工らしく、詳しく説明されていて面白かったです。
いわゆる火縄銃と言うものは、玉自体には火薬がついていないので、銃身にまず火薬を詰めて、その先端に金属の玉を入れます。
そして、持ち手側から、火縄を介して、銃身の一番根元に火をつける形で発射されるんですね。
つまり、弾と火薬とが別々です。
鉄砲の歴史は、まずこの辺から始まって、近年でも見られる弾と火薬がセットになっていて、衝撃を与えることで射撃ができる銃になったようです。
鉄砲の産地も、日本に複数あり、結構あちこちで作られていた上、作り方も特徴も違ったものの様でした。
戦国時代ごろの鉄砲は、大きさについてもかなりバリエーションがあり、馬上から近接戦に持ち込む前の1発だけ打つような小型の物から、城郭に100mくらいの遠くから打ち込むような大筒までいろいろあるようでした。
大筒は、いわゆる大砲みたいなものではなく、あくまで携行可能で数cmくらいの玉を発射するものだったそうです。
大阪夏の陣とか冬の陣とかでは、城郭に絶え間なく打ち込まれたりして、守備側の戦意をくじいたとか書いてありました。
そもそもの松本城にも、防衛時の鉄砲発射用の穴がかなりたくさん開いており、刀だけの時代って意外に早く終わっていたのかもですね。
国宝旧開智学校校舎
こちらもさり気に国宝です。
この地域は、歩ける距離に国宝が2つもあって、そんな簡単に指定されちゃっていいのかみたいな感じはあります。
ものとしては、明治時代に建てられた学校の校舎そのものになります。
実際には、移築とか保存工事とかが入っているのですが、基本的には昔のままで、おそらく一番の特徴としては、その外観にあると思います。
明治時代とかだと、まあ、流行りだした洋風の建物で、国宝に指定されたのかな見たいな想像になるのですが、実際は、和風と洋風が奇妙な割合で混ざった感じになっており、確かに他では見たことがないタイプです。
具体的には、屋根とか瓦で正面からみると、なんとなく日本の豪邸にみえないこともないのですが、正面玄関の上にはバルコニーがあったり、天使の像がついていたり、屋根には尖塔が立っており、東西南北のプレートがついていたりと、割と訳が分からない感じです。
次点で凄いのは、昭和くらいまで、実際に100年くらい校舎として使用されていたらしい辺りでしょうか。
こういう古いものが残り続けるのは、やっぱり地方が強いですね。
学校の国宝らしく、内部の展示は、授業の内容やら、机やイスやら、かなり変わった感じになっています。
特に面白かったのは、当時の教師や生徒が実際に書いた日誌やら作文やらの内容が、そのまま展示されていた辺りでしょうか。
一番新しいものになると、つい60年くらい前の物になるのですが、肉筆のものは、もうすでに旧漢字やら、ひらがなの代わりにカタガナがが入っている文体とかで全く読めません。
この辺は、よその展示で見かけた60年前の週刊少年マガジンとかだと、今とほぼ同じ活字体だったりして普通に読めるので、ちょっと面白かったですね。
関東大震災当日の日誌とかも公開されていて、東京の方は、大火事で全滅の報ありみたいな、外から観察した感じの描写になっていて、ちょっと怖かったですね。
松本の辺りはちょっと揺れただけで、この校舎も瓦が軽く落ちたくらいだったようです。
関連した話になると、私たちが小学生の時とかに散々やらされた避難訓練とかも、当初からあったものではないようです。
時代が進んでいくうちに、この学校でも自主的に行われるようになり、その後、文部省の指導要領にも入ってきたみたいな流れの様でした。
実際の避難訓練時の情景とかも日誌に書き込んであって、普通に面白かったです。
ちなみに、旧開智学校ですが、2021/6/1より、耐震工事で3年くらい閉鎖になってしまうようです。
松本市立博物館
こちらは、松本城の敷地内にある博物館です。
どうも松本の辺りは、出身者がどっかに行くと、珍しい戦利品とかを地元に持ち帰って見せびらかすみたいな風習がかなり古くからあったらしく、松本城でも博覧会が開かれたり、前述の旧開智学校とかでも、戦争の戦利品が展示されたりみたいなことがあったそうでした。
その流れを受け継ぐ感じで建てられたのが、この博物館のようです。
しかし、なんとこちらも2021/4/1より移転準備で2年くらい閉鎖になってました。
前回の時にいっておけばよかったです・・・。
まとめ
とりあえず、松本城周辺は、観光施設が軒並み閉まってしまうので、数年くらいは、パスした方が良さそうですね。
まあ、文化財ではなく、温泉とかに行けばよいのですが。
kuroneko
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